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2014年12月31日水曜日

『私は娘をおんぶしながら本を読んだ』

皆様の育児の参考にしていただけたらと、『育児のヒント』を記載しています。今回は、湘北短期大学保育学科 教授 野口 周一先生です。
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この夏、気になった新聞記事に「抱っこひもから転落」があった。それは「乳幼児が抱っこひもから転落してけがをする事故が、2009年以降に116件起きていたことが東京都の調査で分かった」というものである(『毎日新聞』201485日付)。その後、       
安全で安心なりしおんぶひも(すた)れて抱っこひもにとまどふ   高崎 樋浦マサエ

という歌に出会い、その「評」には「そう言えばかつては日常的に見られた赤ん坊をおんぶする姿を近ごろ見かけた記憶がない。何らかの健康上の理由でもあるのだろうか。なれ親しんだ『おんぶ』から『だっこ』への変化に対するとまどいに共感する方も多いであろう」とある(『毎日新聞』828日付「群馬版」、内田民之選「文園短歌」)。その後、『朝日新聞』も「抱っこひも 事故ご用心」「前かがみで落下、重症も」と事故の例―①親が前かがみになり落下、②ひもがゆるんだり、着脱したりする時にすき間から落下―をイラスト付きで報道し、注意を喚起していた(927日付)。 
 
さて、私の娘は大磯町で生まれた。当時、私は家におり、家内が常勤で働くいていたので、私がよく娘のお守りをした。娘をおぶって二宮金次郎のように本を読んでいた。歩くようになってからは大磯の美しい海と山を散策した。その頃、育児書のバイブルと言われた松田道雄さんの『育児の百科』(岩波書店、1967年)には、おんぶの長所と注意点が書かれ、「おんぶは運搬ではない。親は子どもの、子どもは親の肌の温かさを感じる親しさのコミュニケーションだ」と(まと)められている。

 現在、私は2年生の講義に、『やさしい教育原理』新版増補版(有斐閣、2011年)をテキストとして使用している。同書には優れた教育論や文化論も収録されている。共著者のお一人・福田須美子先生

(相模女子大学教授)には「おんぶ考―育児様式の変容をめぐって―」(『子ども教育研究』第3号、2011年)がおありになる。先生は、「(ふる)
い日本の子どもたちを観察すると、おんぶされた子どもが肩越しの世界を眺め、その後その眼前の世界にスムーズに溶け込んでゆく様子
が読み取れる」と説かれた。「共視・共感」の項では、「ワンワンワン」を見つけた「背中の子どもの動きを察して、母親が同じ方向を見る。尾を振る犬を見て、寄っていく。その時、ふたりは図らずして同じものを見、同じような仕草をするだろう」と例示され、「おんぶする者とおんぶされた子がともに同じ対象を見、注意を共感することで、双方の愛着が深まる。おんぶは共同注視が自然に起こりやすい育児行動でもある」と説明された。
 福田先生の「共視・共感」のお説から、私は尊敬する松田高志先生(神戸女学院大学名誉教授)を思い起こした。先生は京都大学で教育人間学を専攻された方であり、小田原で「はじめ塾」を主宰された和田重正先生に出会われ、ご自分の進むべき教育学の途に得心がいったと仰られている。私が若き日に大磯町に住んだのは、その和田先生に学ぶためであった。私が1年生の講義に「教育学入門」と位置付けて使用しているテキストは、松田先生の『いのち輝く子ら―心で見る教育入門―』(NPO法人くだかけ会、2006年)である。松田先生は、和田先生のエッセイの一節、「自然への眼が開かれたのは、ナスの初花を見て思わず放った母の感嘆の声によるのですが、…」を引用され、「お母さんの感動する心、不思議への驚きの心、あるいは敬虔な心や感謝の心の中に子どもは溶け込み、そこで温かな生き生きした〝真情〟を満喫し、そのようにして心の養分をたっぷり吸収して、豊かな世界へと羽ばたいていくことができるようになるのではないかと思います」と述べられた。滋味豊かなご指摘である。
 
 福田先生は、「想像的育児力」として「日本の伝統社会の子どもたちには、阿吽の呼吸、見えないものを想像しながらの気配り、他を思いやる心があった。こうした思いやりがあって初めて子ども同士の間に優しさが誕生する」とも説かれている。私たちにとって、「育児を社会に開く」「社会で子どもを育てる」という観点から、子育てを軸に社会を再構築していく必要があるのだ。チャレンジすべきことは多々ある。                                   
 野口 周一
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